メディアの紹介文

「会社という単位はもう古い」それでも企業で研究する道を選んだ、元助教の野心

アカデミアから民間企業へ移った研究者は、どのような想いで研究に臨むのでしょうか。
元東北大学助教の一杉俊平さんは、2017年にコニカミノルタへ入社。一貫して有機化合物の設計と合成の研究に取り組んでおり、今話題の「マテリアルズ・インフォマティクス」の分野では近畿化学協会の「化学技術賞」を受賞するなど、その実績が高く評価されています。

企業とアカデミア、両方での研究を経験した一杉さんに、企業研究のメリット・デメリット、そしてコニカミノルタの研究員だからこそ描ける未来について語ってもらいました。

一杉俊平さん

一杉俊平さん

アドバンスドエキスパート

東北大学理学部化学科・理学研究科化学専攻修了後、同助教。約12年間に及ぶ大学での研究活動を経て、2017年にコニカミノルタ入社。先進コア技術センターで有機物の設計・合成研究に携わる。趣味は愛猫のルネちゃんと遊ぶこと。

全ての事業の基礎となる、ものづくりの「ゼロイチ」を担う

──一杉さんは、コニカミノルタでどのような仕事をしているのですか?

コニカミノルタの事業で使われる、材料の設計や合成に関する研究を行っています。
例えばプリンターで使用されるトナーを作る場合は、分子を合成し、それらを混ぜて材料を作り、その材料を使ってトナーを作るという一連の流れがあります。

多くの会社は分子や材料を外部から購入し、それらを混ぜることによって求める物性を出しているのですが、コニカミノルタでは分子や材料の設計から行っています。私が担当しているのはまさにその一番最初の部分です。

学生時代は「できるだけ根本的な部分に携わりたい」と物理専攻も検討したが、理論だけではなくものを作りたいと考え化学の道へ。

学生時代は「できるだけ根本的な部分に携わりたい」と物理専攻も検討したが、理論だけではなくものを作りたいと考え化学の道へ。

──ものづくりの一番最初のフェーズを手掛ける会社は珍しいとお考えですか?

もちろん、そうした業務を専門に行っている素材メーカーや化学企業はあります。しかしコニカミノルタは、精密機械などのモノ作りの事業を手掛けているにもかかわらず、材料を作る段階から一貫して自社で行っている。こうした業態は結構特殊だと思います。

──そうなのですね。では、一杉さんが取り組んできた「マテリアルズ・インフォマティクス(以下、MI)」について教えてください。MIとは一体どのような技術ですか。

材料開発のフェーズでは、求める物性を出すためにさまざまな分子構造を試します。例えば、発光性の色素を作りたいのなら「分子の構造をこんな風に変えたら光るんだな」といった知見を積み重ねていくのですが、その作業は人間の勘や経験に頼って行われている部分がありました。

ところが近年発達したAIを活用すれば、人間よりも数多くのデータを処理し、より素早く最適値を求められるようになる。その結果、より合理的な材料設計が可能になります。これを実現するのが、材料科学と情報科学の最新手法を組み合わせたMIという材料開発手法です。

──MIは将来的に、社会にどのような影響を与える可能性がありますか?

従来の材料開発は、時間やお金などの膨大なコストを要するものでした。そのため、材料開発者の使命は「大多数の人間のためになるもの」を作ることだったんです。
しかし、MIによってクイックな材料開発が可能になれば、「一人の人間のためになるもの」を作りやすくなります。

例えば製薬の世界では、ある薬が多くの人には効くけれども、一部の体質の人には効かないということがよくあります。ところがMIによる材料開発が浸透し、個人の体質に合う薬を素早く開発できるようになれば、より多くの人が救われるようになるはずです。

将来的には、実際に現場でこの手法を必要としている人に「MIはすごい!ぜひ使いたい!」と実感してもらえるレベルまで持っていきたいですね。そこまで到達できれば、MIは世の中に一気に広がっていくと思います。

ハイレベルな企業研究のために、忘れてはいけないこと

──一杉さんは元東北大学の助教とのことですが、どのようなキャリアを歩んできたのでしょうか。

おそらく企業研究者の中では珍しいと思うのですが、私の研究内容は大学時代からほとんど変わっていません。ずっと分子の設計や合成を専門に扱ってきました。
私が手掛けた研究テーマが良い成果を出し研究室の主要テーマに育っていたこともあり、博士課程在籍中に「助教にならないか?」と教授に声をかけていただき、卒業後はそのまま研究室に残りました。もともとアカデミア志望だったので、こんなに素晴らしいことはないと思いましたね。

コニカミノルタに転職したのは、私が所属していた研究室と共同研究を行っていた関係で面識を持っていた先進コア技術センターの元センター長・北弘志さんの言葉がきっかけでした。助教になって5年目が過ぎようとしていた頃です。そろそろ新たな環境でキャリアを積みたいと考えていた時期に、北さんから声をかけていただいたんです。

当時の私は基礎研究に携わりたいと希望していたため民間企業への就職はあまり考えていませんでした。しかし、北さんのお話からコニカミノルタでは大学でやっていたような基礎的な研究ができる環境もあることを知り、ご縁を信じて転職しました。

大学から助教時代まで合計14年間過ごした仙台は「第二の故郷」。仙台に比べれば、八王子の寒さはなんともないという。

大学から助教時代まで合計14年間過ごした仙台は「第二の故郷」。仙台に比べれば、八王子の寒さはなんともないという。

──実際に企業で働いてみて、アカデミアでの研究と企業研究の違いは何だと思いますか?

まず一つは、研究活動のゴールが違います。
大学の研究活動の目的は、最終的には人類の叡智を高めることだと思いますが、より近い目標は「論文を出すこと」です。研究テーマが一つであれば、一年で一本の論文は書けると思うので、大学の研究者は一旦そこにゴールを設定します。

ところが企業活動においては、最終的な目的は世の中を豊かにすることだと思いますが、より近い目的は「製品化」です。これは論文を書くというゴールと比べるとかなり遠くにあるため、何をモチベーションとするかが難しいという側面はあると思います。

もう一つ大きな違いだと感じるのは、視界の広さです。
大学の研究室は「自分たちはこんな研究をしているんだ」と自慢し合っている状態なので、自分たちがどれだけ世界の最先端にいるのかが比較的容易に把握できます。
一方企業では、自分から動かないと外の世界の情報が入ってこないため、意識しなければ井の中の蛙になってしまう可能性があります。「前の製品よりもいい性能を出した」といった社内の評価だけで満足してはいけないと、いつも危機感を抱いています。

一杉さんの机の上の分子模型。PC上で簡単に分子モデリングができる時代だがアナログの良さがあるという。

一杉さんの机の上の分子模型。PC上で簡単に分子モデリングができる時代だがアナログの良さがあるという。

──企業での研究活動において生じる課題を、一杉さんはどのように乗り越えてきたのですか?

やっぱり研究者である以上、論文を読むことが大切だと思います。
企業には「技術はビジネスに繋がらないと意味がない」という考えがある反面、技術への甘さが生じやすく、最先端のことを知らなくても許されてしまう雰囲気があると思います。私はそれを、決して良いことだとは捉えていません。

私のチームはコニカミノルタのあらゆる事業の根っこの部分を担っています。だからこそ、「この部分では誰にも負けない」という気持ちで世界と張り合っていく必要があるはずです。
モチベーションを高く保つためには、そうした想いを持って研究に取り組むことが大切だと思います。

最先端にこだわるからこそ、いつでも論文が読めるような環境づくりをしている。

最先端にこだわるからこそ、いつでも論文が読めるような環境づくりをしている。

──アカデミアを経験してきたからこそ、そのような意識で研究に臨むことができるのですね。反対に、企業で研究することのメリットを感じたことはありますか?

もちろんあります。一つ挙げるとするならば、組織の性質です。
大学の研究室はその研究室の主宰者、多くの場合は教授をトップとしたごく小さなコミュニティーであり良くも悪くも独自のルールや文化が絶対のものとして存在する特殊な世界です。一方、会社では、自分の所属するグループの上司の上にはまた別の上司がいますよね。そしてそのまた上にも上司がいます。ということで上司は絶対的な存在ではありません。もし直属の上司とうまくいかなかったとしても、それで終わりなんてことは全然ない。はっきり言って何とでもなると思うんです(笑)。

だからこそ生ぬるくなってしまう側面はあるかもしれませんが、それは心理的な安全を保てることの裏返しであり、会社組織の良い面だと感じています。

良い研究成果は、良いチームワークから生まれる

──一杉さんは2022年にMIの研究で化学技術賞を受賞されました。このような成果はなぜ生まれたのだと考えていますか?

一番良かったのは、良いチームを作れたことだと思います。
今回のプロジェクトでは「がんを可視化するビジネスを担当する人」「がん細胞を光らせる人」「光らせる材料を作る人」というように、役割の違うメンバーが一丸となって新しい色素の開発にチャレンジしました。

実はこういう組織横断のプロジェクトは、一般的に組織間の利害が対立して困難になりがちです。しかし今回は私がリーダーを任せてもらい、現場のメンバーが中心のチームを組めたことから、かなりスムーズな動きができました。
自分の評価は気にせずに、とにかくプロジェクトがうまくいくようにと全員が考えて動いた結果、連携は非常にうまくいきましたね。

化学技術賞を受賞したプロジェクトで一杉さんたちが開発した色素。「色素濃度が濃い状況でもよく光る」という条件を分子設計でクリア。

化学技術賞を受賞したプロジェクトで一杉さんたちが開発した色素。「色素濃度が濃い状況でもよく光る」という条件を分子設計でクリア。

──メンバー各々の力だけではなく、いかにチームワークを発揮するかが大切なのですね。

その通りです。実はチームワークを生み出す際に、MIの研究開発で新たに学んだ統計的な手法が役立ちました。
専門分野が違う人たちと会話をするときには工夫が必要です。どんなに優秀なメンバーでも、自分が普段扱っていないデータをそのまま見せたところで「だから何?」となってしまうと思います。そうした事態を避けるために、MIを通じて学んだ統計的な手法を利用してデータを加工し、それを使ってチームメンバーとの情報共有を行いました。

今回のプロジェクトにおいて、データサイエンスの技術はMIのためだけではなく、メンバー間の共通言語としてもうまく機能してくれたと思います。

──一杉さんは、以前からAIやデータサイエンスにも詳しかったのですか?

いえ、実はその分野に触れ始めたのはMIの研究を始めてからです。
AIやデータサイエンスは化学とは離れた分野ではありますが、自分の主張を根拠を持って説明するときに非常に役立つスキルなので、引き続き勉強していますし、今行っている別の研究でも活用しています。

一人の化学者として、人類への貢献を考え続けたい

──一杉さんの研究のモチベーションを教えてください。

それはアカデミアにいた頃から変わらないですね。やっぱり、世界中の誰もがまだ見たことのないものを見るとか、触ったことのないものを触るとか、そういうことができたらいいなと思います。

アカデミアの場合は「触って終わり」になってしまうところ、会社では今までなかったものを世の中に浸透させて、文化にすることまでできるはずなんですよね。コニカミノルタではぜひそれを実現したいです。
とはいえ、この夢を叶えるためには研究所レベルで世界最先端になる必要があるので、まずはそこを目指します。

楽しく研究をするためには、「自分がどういう位置にいて、どこを目指すのかをはっきり知る必要がある」という。

──一杉さんにはぜひ実現してほしいと思います。それでは最後に、これからの企業人に求められると思うことを教えてください。

会社に所属しているからといって、会社の中に縮こまるのは良くないですね。青臭い話かもしれませんが、会社という概念は古くなりつつあるのではないかと思っています。

例えば、プログラマーの世界ではオープンソースのソフトウェアが当たり前に普及していますし、最近は画像生成AIなどが企業の枠を超えて勝手に進化し続けています。
それと似たようなことが、我々の化学の分野でも将来的に起きてくると思います。

──会社という壁が、あらゆる業種業態で薄れていくのでは、ということですね。

そうですね。そもそも会社活動の最終的な目的は、人類の繁栄のはずです。
あくまで私の考えですが、今までは会社同士で競い合うことがその目的の達成に最も効率的だったから、会社という組織が普及していただけだと思うんです。

これからは会社同士が利益を奪い合う時代ではなくなると思いますし、それと同じことが国同士にも言えると思います。昔と比べると、国という単位はどんどん曖昧になっていますよね。

今はそういう世の中なので、例えば会社の中で課長になるとか、部長になるとか、そういうことが価値を持つ時代は終わりに近づいているのではないでしょうか。
狭い価値観で自分を縛るのではなく、人類の繁栄のために自分はどんな貢献ができるのかを、一人の化学者として考え続けていきたいですね。

─インタビューを終えて─
研究内容についてお話しする一杉さんは終始楽しそうで、心から化学を愛しているのだと感じました。アカデミアにいようと、企業に所属していようと、常に最先端を目指す。そのブレない研究者としての姿勢に、多くの人が刺激を受けてきたのではないでしょうか。

今回の記事に関連する情報