「グローバルに活躍したい」「海外で暮らしたい」と日本を飛び出して働くことを重視しながら会社選びをする方も少なくないはず。一方で「海外」と一言でいっても、行く国も現地での役割も様々です。では、実際に海外で働く機会は、どんな企業が多いのでしょうか。商社や外資系企業などがまず思い浮かぶかもしれませんが、国内メーカーも海外勤務者数が多いことは意外と知られていません。
今回ご紹介するのは、コニカミノルタのマレーシア工場で生産・調達本部を指揮する入社10年目の中村圭介さん。
中村さんは、駐在してからわずか1年半で現地工場のジェネラルマネージャーに就任しています。どのようにしてそのポジションに至ったのか?そんな、輝かしい経歴の中村さんに伺った現地での葛藤やリアルな駐在体験談をお届けします。
中村圭介さん
2013年、ビジネス系職としてコニカミノルタに新卒入社し生産企画部に配属。幼少期から培った語学力で入社2年目にしてマレーシア工場立ち上げプロジェクトメンバーに選出される。日本とマレーシアを往復し財務系システムや運用フローの定着を見事完遂。2016年に生産管理部に異動し、2019年にマレーシア駐在。その1年半後には現地工場のジェネラルマネージャーに就任。現在は約60名を抱える部門長として生産から工場経営まで幅広い業務に従事している。趣味は野球やゴルフ。一番大切な時間は家族と過ごすこと。
履歴書に書いた「特技は一発芸!」
配属先はグローバルな取引先とモノづくりをする生産部門へ
──まず、中村さんが働く生産・調達本部の仕事について教えてください。
生産に関係する様々な部門と関わりながら生産計画を作り出す部門です。イメージとしては、生産全体をけん引する司令塔のような存在です。どんな環境でも安定して供給し続けられる生産ラインを考え、グローバルなお客様に適正な品質・価格でタイムリーに提供する。コニカミノルタにはマレーシアだけでなくアメリカやフランス、中国にも拠点がありますが、それぞれの場所ならではの制約や変動を考慮しながら現地のメンバーと共に、滞りなく製品を供給できるよう試行錯誤の毎日です。
──中学・高校とアメリカで過ごされ、英語も堪能だと伺いました。幅広い分野で活躍できる力もある中で、製造やモノ作りに関わる部門で働くことに元々興味があったのでしょうか?
自分は家族や友人たちとの時間を大切にしながら働きたいと思っていたので、商社よりメーカーのほうが向いてると強く感じていました。商社のようなゴリゴリ感が自分には合わないと学生ながら思いつつ、自分の個性は出したくて履歴書に、特技は一発芸!と書いてたんです。どこの会社も触れることさえしてくれなかったのに、コニカミノルタだけは違いました。今思うと恥ずかしいのですが、最終面接で披露させてくれてそれが個性を受け入れてくれる会社だと、僕も良い印象をもつきっかけになりました(笑)
部署に関しては、「どこでもやります!」と言って配属されたのが、生産部門でした。スポットライトを浴びる仕事ではなく、説明会でも紹介されなかったので配属されるまでは正直知らなかったです。でも実際に中に入ると、会社の経営の部分を間近で見ることができたり、グローバルなモノづくりに関わることができたのは、この部署の特権ですね。貴重な経験ができました。生産や調達という仕事を知っているか知っていないかでは、自分の可能性の広がりが大きく変わっていたかと思います。
海外赴任は欧米へ...と、思っていたらまさかのマレーシア
──入社2年目でマレーシアの工場の立ち上げメンバーとして号令がかかる訳ですが、その時の心境は?
グローバルに活躍したい気持ちはずっとありましたが、完全に欧米の気分でした(笑)。東南アジアは旅行で行くくらいで良いと思っていたので、まさか住むことになるとは想像してませんでしたね。
──そうだったんですね(笑)マレーシアでの生活は、どんな生活なのでしょうか?
生活に関しては、日本食があまり置いてないのが寂しいですが他に困ることはないですね。現地メンバーの家で一緒にご飯を食べたり、2022FIFAワールドカップの日本代表戦も皆で応援したりして盛り上がりました。マレーシアはハードシップ地域に認定されてるので、家賃なども会社が負担してくれてるので生活費がほとんどかかってないんです(笑)。家族との時間もちゃんと確保できるのが、理想としていた働き方に近いので満足しています。
文化も宗教も違い疲弊する日々。
そこからわずか駐在1年半で約60名を抱える部門長に就任!?
──実際、現地で働いてみて、困ったことはありますか?
基礎知識もほぼないまま現地入りして、わからないことだらけで理解するので精一杯でした。思いが伝わらず、もちろん嫌な顔をされることもあったし、文化や宗教の壁を乗り越えるのは容易なことではなく、トラブル続きで非常に辛い2〜3年間でした。一方で、「僕はこういうことが知りたいんだ、もう少しここを教えてほしい。」と泥臭くめげずに伝え続けたことが良かったのかなと今振り返って思います。わからないことをそのままにしない、それは1年目からずっと大切にしています。
──その結果として、工場立ち上げの実績が認められ社長表彰も受賞されたそうですね?後のマレーシア駐在や現地でのジェネラルマネージャー就任へとつながります。
現地メンバーや自分以外の駐在者、そして日本で働くコニカミノルタのメンバーのサポートがあっての結果です。このプロジェクトを通して、人脈も広げることができ、その後の仕事に良い影響をあたえられたと思います。今は、現地メンバー60人くらいのレビューや実技管理を担当するようになり、育成する側としての学びも多いです。僕たちはずっとここに居られないからこそ、現地メンバーが自分でやっていけるような力をつけてもらうことが僕たちに与えられたミッションだと思い、今はそこに専念しています。
「驕ることなく低姿勢かつ大胆に」
現地メンバーとお互いに成長したい
──異国の地での人材育成...想像するだけでも大変そうですが。
文化の対立じゃないですけど、考え方の違いを埋めるのは難しいですね。ただ、仕事って人間関係が良好であればあるほど上手く回るんですよね。相手のスキルを引き出すには、自分も相手に質問をしてみたり、心を開いていくことで良い関係が築けると思うんです。驕ることなく低姿勢で、現地メンバーと足並み揃えて、お互い成長していこうという姿勢で取り組んでいます。
──中村さん自身、現場で苦労した経験があるからこそできる目線ですね。やりがいはどういった部分で感じますか?
コロナ禍で、半導体や人手が不足している状態がずっと続いていたのでその中でやっていけたのは自分の価値が高まる大きな経験でした。現地メンバーが、自分の経験や知識を引き継いで同じ方向を向いてくれて、実際に「こういう風に考えてる」って熱い気持ちで言いに来てくれたときはめちゃくちゃ嬉しかったです。文化の違いがあるからこそ、通じ合えた瞬間は非常にやりがいを感じられますね。
「偉くなりたい」自分の市場価値を常に意識することは会社の成長にもつながる
──中村さんにとって会社とはどういった存在でしょうか?
自分がどうなりたいのか考え、見つけ、自己成長しながらそれを実現できる場所だと思います。コニカミノルタは若手がチャレンジする機会を積極的に設けてくれ、20代で多くのことを吸収できました。きっと他の会社ではできない経験ができ、自分のスキルやキャリアについて考え、実践しやすい環境だと思います。
──今後、5年、10年で見据えているものがあったら教えてください。
端的に言うと、偉くなりたいです(笑)裁量権が増えるとやれることが広がるので楽しいと思う瞬間が増えるんですよね。偉くなるためには、全体を俯瞰して判断できる能力が必要だと思うので、販売や事業管理の知識も学んでキャリア形成していきたいと思っています。保守的な性格なので、願わくばコニカミノルタにずっとお世話になりたいのですが、放り出されても対応できるように自分の市場価値は常に意識しています。会社が成長していくために何をすべきか常に判断できる人でありたいですね。
Edit:Sayoko Kawai,Text:Sayuri Otobe,Photo:Aya Tonosaki,Design:Naomi kosaka